大注目!統計学が最強のリベラルアーツである理由をまとめました

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今回は、昨今のデジタルマーケティング業界でよく聞くようになった統計学が最強のリベラルアーツ(教養)であることを簡潔にまとめてみました。

タイトルは、もちろん某書籍のインスパイアです。

リベラルアーツというと、池上彰氏などの著名な作家やビジネス誌が特集で取り上げるなど、長らく注目を集めているビジネスパーソンスキルという印象があります。

確かに“スキル”ではあるのですが、それだけでは本質を捉えていません。そこで、統計学という切り口で「教養」の本質を浮かび上げていきます。

そもそもリベラルアーツとは?

リベラルアーツの誕生は、古代ローマ時代でした。

当時、技術(スキル)は2つに分類されていました。「実利性」「専門性」を意味する職業人のための機械技術と、それ以外の「思考性」を意味する自由人(非奴隷)のための諸技術です。

非奴隷という言葉は違和感を覚えますが、当時の奴隷とはローマに吸収合併された領土に住む人間を指します。奴隷から非奴隷になることもあり、現代風に言うと買収された企業の社員が本社の部長に就任するようなものです。

古代ローマ時代の機械技術は、機械とは名前が付けど殆どが手工業で、体系化されたものも少なく、いわゆる一子相伝のようなものでした。当時は医者も職業人扱いだったのです。

一方で、自由技術とはこうした肉体労働から解放された人が身につけるべきとされた学問でした。簡単に言うと前者はブルーカラー、後者はホワイトカラーです。

機械技術はアルテース・メーカニカエ(artes mechanicae)、自由技術はアルテース・リーベラーレース(artes liberales)と言います。後者を英訳したものがリベラルアーツです。

この技術の違いは何なのかと言うと「陳腐化」にあると解釈しています。

本質がもたらす現象や結果に注目するのが機械技術です。いわば再現にこだわった技術であり、条件が変わればまた1から始めることになります。

近代以降は産業革命により、むしろ機械技術が注目されており、数々のイノベーションが起きていますが、その分だけ陳腐化も激しくなっています。

いっぽうで本質を考えるのが自由技術です。いわば変わらないものを見抜く技術であり、手で覚えるより頭で考えます。

そもそも自由技術の「思考性」の由来は、プラトンらが活躍した古代ギリシャ時代の「哲学」にまでさかのぼります。

哲学は論理性が何より求められ、人によって解釈が異なる言葉は生み出せません。誰が見ても同じ解釈となる本質を探すことが哲学であり、それが時代が変わっても生き続け、自由技術にまで発展しました。

スティーブ・ジョブズはiPadの発表会で自身の会社を「テクノロジーとリベラルアーツの交差するところに立とうとしている」と表現していました。

機械技術と自由技術を指していると言われており、陳腐化しない本質(普遍性)とその時代に最も求められる最強の技術(最新性)の両方を求めているという意味でしょう。

図1:変わるものと変わらないものを両立させることを目指したApple Inc.

ローマ時代末期(5世紀後半ごろ)には、自由技術は7つの科目に纏められました。

自由七科と呼ばれ、言語に関係する文法・修辞学・弁証法(論理学)、数学に関係する算術・幾何・天文・音楽で構成されます。言語も数字も、その本質は変わりません。変わらないことを、学問を通じて理解するのが自由七科だと言ってもいいでしょう。

天文や音楽が数字の括りになるのは変な感じですが、天文とは暦であり数字の概念無くして日は成り立ちませんし、音楽とは音符記号であり、その意味は全て数字で表現されています。

どちらかと言えば、言語と数学の応用という位置付けだったかもしれません。

ちなみに自由七科を統括しているのが哲学です。この頃の哲学は、「神様の証明」という目に見えないものを見えるものとして学問する神学の導入として取り入れられており、キリスト教の理念を定着させるために整備された色合いも強いと言われています。

やがて13世紀ごろに誕生した大学では、この自由七科が正式な学問と定義されます。自由七科で本質を掴めるようになり、その素養ができてから専門知識を学ぶようになりました。なぜなら本質が分からなければ上辺の現象や結果に目が奪われ、原因と結果を混同しかねないからです。

教養(リベラルアーツ)と聞くと、一般教養を思い出す人が多くいますが、なぜ大学で教養を学ぶかと言えば、こんな背景があったのです。

なぜ最強なのか?

リベラルアーツとは「本質をつかむ学問」であり、そのための方法として数学と言語(国語)を学ぶことがわかりました。

では次に、なぜデータサイエンスが最強のリベラルアーツと言えるかをまとめます。

そもそも、専門知識である学問は3つの基礎科学(fundamental science)で構成されます。自然を対象にした自然科学(natural science)、その反対の人工(人の手によるもの)を対象にした人文科学(cultural science)、そして自然と対であり、個人と集合という意味では人工とも対になる社会科学(social science)の3つです。

いずれも科学という言葉が付いていますが、もともとの意味は「体系化された知識や経験の総称」を指しています。

データサイエンスも、同様の定義を用いていいのではないでしょうか。

すなわち、データに関するあらゆる体系化された知識や経験がデータサイエンスだと。データの取り方から考え方、見せ方、まとめ方まで、あらゆる手法こそがデータサイエンスなのです。大げさに言うなら、データサイエンスは第4の基礎科学と表現してもいいでしょう。

図2:第4の[data science]を含めた基礎科学こそ最強のリベラルアーツとなる

データは数字で表現されますが、その元の部分は日常の活動や日々の推移だったりします。いわば言語の数字化というスキルが求められます。

数字で表現されたデータをいじくり倒すことで新たな発見につながります。それを表現するには数字の言語化というスキルが求められます。

まさに自由七科で言うところの天文・音楽の位置付けです。今までは応用の仕方に制限がありましたが、コンピュータの発達により大幅に数学能力が向上し、応用の仕方そのものが学問として確立したのです。

だからこそ、数学と言語の能力が求められるデータサイエンスは「最強」のリベラルアーツなのです!

現在、データサイエンスは流行というフェーズを終え、より進化して、WatsonなどのAI領域やディープラーニング領域が流行の兆しを見せています。

一方で実際のビジネスにどのように役立てるかという観点ではまだ未発展の課題も多く、「こんなものなのかデータサイエンス」という声も聞こえています。

この先、データサイエンスが「ビジネスに役立つもの」という位置付けから、そもそもの「基礎学問」であり全ての職域に応用できるという認識が広まれば、費用対効果も改善し、一気に普及するのではないでしょうか。

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